仲間

皆さんには、どんな「仲間」がいますか?

「仲間」って、いったいなんだろう、そんな事をふと考えました。
自分が仲間と思っていたって、相手は必ずしも同じように考えてくれてはいない、仲間ってそんな緩やかなものかもしれません。
それでも、人は「仲間」というグループを自然と頭の中で構成してしまうものですね。
消去法で考えると、家族や親族といった血の繋がりのある関係でもなければ、赤の他人でもない、そんな間にある関係の中で自然発生的に仲間が構成されていきます。

ここで、ご参考までに、僕の「仲間」について簡単にご紹介します。

「社員」
私にとって、家族親族に最も近い大切な仲間、それは「社員」です。
ある意味、社会的なつながりの中での「家族」といっても過言ではありません。
日々、仕事に邁進しているのはなぜかと問われると、それはもちろん、社会的に自分が役立っているんだ、という実感を持つためです。
しかし、それだけではなく、もっと現実的に考えた場合、自分と自分の家族、そして社員及び社員が養うご家族が、みんな幸せに暮らしていけるよう、しっかり稼ぐというのが大きな働く目的です。
ですから、一般的に家族と安易に「縁切り」などできないのと同様に、僕は社員を安易に「クビ」にする事はできないし、社員が去ってしまうと途轍もなく寂しく感じるのです。
経営者として、ちょっと考え方がウェット過ぎるのかもしれませんが、経営者である前にヒトとして、共に同じ釜の飯を食う仲間を一番大切にするという事が、僕のポリシーでもあります。

「応援者」
私の考え方や目指している夢、私の持つささやかな才能などに賛同して、私をビジネスやプライベートで、精神的に又は物理的に、支援してくださる方々がいます。
私のビジネスサービスにおいて契約いただける方やお客様をご紹介いただける方、資金が必要な際に私に出資や融資をしていただける方、私が学びたい事を教えててくださる方、そんな方々が私の大切な応援者です。
もちろん、みなさんそれぞれに、何らかの見返りがあるからこそお付き合いいただけているのかもしれません。
しかし、応援者の方々がいなければ、ビジネスが覚束ないどころか、生活を続ける事すら危ぶまれます。
なぜ、私と契約いただき又はお客様をご紹介いただけるのでしょうか。私でなくても、良いはずです。
なぜ、私に出資したり融資したりしていただけるのでしょうか。私でなくても、良いはずです。
なぜ、私が学びたい事を教えていただけるのでしょうか。私でなくても、良いはずです。
これらは、実は全て大切な「ご縁」だと考えています。
もちろん、私なりに支援していただけるような役立つ人間になりたいと努力をしていますが、「ご縁」がなければ実りません。
とっても、とっても、ありがたい事だと思います。
そして、支援者の方々が望む見返りがあればそれを提供できるよう、より一層の努力をしていかなければと、身が引き締まります。

「仕事仲間」
同じ会社に属してはいないけど、共にビジネスで頑張っている方で、様々なご縁で知り合った方、そんな仲間がいます。
私が経営者だからか、やはり同じオーナー経営者という立場の方、そして近い価値観を持つ方が、徐々に仲間になっていきます。
中には、オーナー経営者ではないのにオーナー経営者としての考え方や価値観を持ち、自らの雇い主であるオーナー経営者の右腕として活躍していらっしゃる方も、仲間にいます。
時には共にビジネスをし、時には経営判断を下す際のアドバイスを与え合い、時には酒を酌み交わす、そんな仲間が僕の精神バランスを支え続けてくれています。
仕事仲間が直接自分の生活の糧を与えてくれる事はなくとも、ビジネス上において精神的な部分で大切な潤滑油となっていたりします。
だから、仕事仲間との時間を、とても大切にしています。

「飲み仲間」
実は、今は純粋な飲み仲間と言える方はいないかもしれません。
以前、オフィスが神宮前にあった頃、近くの小さな居酒屋に飲み仲間がいました。
もちろん、今もそこへ飲みに行けば、飲み仲間として復活するかもしれません。
何をしているのかよく知らず、名前すら朧気だったり知らなかったり。
でも、ちょっとした日常で感じる事や時事ネタなどで盛り上がり、酒を飲んで心癒される仲間。
2年前、バツイチの私が再婚した際、私と妻をその居酒屋に招待してくれて、盛大にお祝いしてくれた事があります。
嬉しかったなぁ。
オーナー店長は、2度も僕が運営しているホテルへ家族と遊びに来てくれました。
とっても緩やかな繋がりながら、こんな形でのお付き合いも、僕の人生の大切な一部を司っています。

「趣味の仲間」
僕の人生において、純粋に趣味だけで付き合う仲間ができたのは、実は今年釣りの社会人クラブに入って初めて経験した事です。
私が属する釣りクラブについては別途詳しく紹介したいと思っていますが、構成メンバーは私を含めて9名、仕事や年齢などはみんなバラバラ、釣りという共通の趣味を通してのみお付き合いしている仲間です。
釣りというと、月に2~3回釣行の際に会うだけかと思いきや、実はほぼ毎日のようにLINEを通してコミュニケーションを取っていて、とても楽しい仲間です。
今の9名は、当釣りクラブが発足して約1年、メンバーが増えたり減ったりした結果、それぞれの個人的な背景はバラバラながらも近い価値観の方だけが残り、釣りの会話もそれ以外の会話も、とても楽しいのです。
釣りという趣味は、実は釣行している時だけが釣りではなく、実は何を釣りに行くか、そのために必要な竿、リール、道糸、そして仕掛け、エサ、釣り場など、様々な事を検討するわけで、その時間こそ釣りの真髄かもしれないとつくづく感じます。
釣行後も、何故釣れたのか、又は何故釣れなかったのかを考え、次の釣行でより釣果を上げる事を考えます。
そんな事を、今年釣りを始めたばかりの入門者が独りで悶々と悩むのではなく、釣りの師匠(クラブのリーダー)がいて、釣りの仲間がいて、みんなお互いの経験を情報共有しているのです。
私が所属する釣りクラブは、今年釣りを始めたばかりの入門者が数か月でベテランしか行かないような深海釣りへ行けるまでトコトン釣りを教えてくれるにも関わらず、入会金どころか会費すらありません。
釣りを無償で教えてくれるクラブのリーダーにはいつも頭が下がる思いですが、リーダーを始めとしたこの趣味仲間はこの数か月のうちに僕の人生にとって大切な位置を占めるようになりました。

「旧友」
高校時代に同じ課外クラブで友人となって以来、今でも付き合っている旧友がいます。
旧友であり、親友でもあります。
彼の結婚式では私が二次会の幹事を行い、私の2度の結婚式ではいずれも彼が二次会(お披露目会)の幹事をしました。
私が文系で彼が理系ですから、大学は別々でしたが、就職で同じ会社となり、お互いに会社を辞め、数年後また仕事がかぶって一緒に働くようになり、今また別々の会社となりましたがお互いにオーナー経営者、そして文字通り腐れ縁の旧友です。
お互いに励まし合う時があるかと思えば貶し合う時もあり、兄弟のように激しく喧嘩もし、そしてすぐ仲直りをして酒を酌み交わします。
どちらかがこの世を去るまでは血縁があるかのように離別する事はないという、妙な安心感というか絶対的な信頼感があります。
だから、お互いに歯に衣を着せず言いたい放題だからこそ、価値観の違いから平気で喧嘩もしますし、お互いに変な気の回し方をしない安心感もあります。
実は、私が一生の趣味として完全にハマっている釣りも、昨年末にこの釣りキチガイの旧友に釣りに連れて行ってもらったのがきっかけです。
その釣りすらも、彼と私では価値観が違いますから一緒に釣りに行く事も稀ですが、にも拘らず釣りの話は止まる事がありません。

こうして仲間について振り返って書いていると、自分の人生は家族と仲間で構成されていると、つくづく感じます。
ここに記載しなかった、妻の友達、「旧友」に載せなかった今は繋がりの薄い旧友、そしてこれから出会うであろう新しい仲間、様々な仲間があるのだろうと思います。
そして、「仲間」は自分にとって大切な人生の財産であり、以前ブログ「本当に欲しいもの」で記載したどんな「形あるモノやお金を払って提供されるサービス」よりも、ずっとずっと大切なものだと、思わずにはいられません。

皆さんには、どんな「仲間」がいますか?
そして、その仲間を「形あるモノやお金を払って提供されるサービス」よりも、大切にしていますか?