みなさん、先週末からいよいよリオデジャネイロのオリンピックがスタートしましたね。
みなさんは、オリンピックをどのように楽しんでいますか?
ただ漠然と、日本の選手を応援していますか?
それとも、特定の協議や特定の選手を応援していますか?
それとも、日本がいくつのメダルを取るのか、どこの国がいくつのメダルを取るのかに、興味がありますか?
僕は、各競技で世界最高峰の選手がどんな結果を残すのかに、興味があります。
または、各競技で新たなスター選手が現れるかどうかに、興味があります。
オリンピックを観覧する方が、それぞれのオリンピックの楽しみ方があってよいと思うのですが、そもそもオリンピックを開催している「国際オリンピック委員会」(IOC)は、どんな意図をもってオリンピックを開催しているのでしょうか?
僕は、小学生の頃に学校の先生から、「オリンピックは、平和の式典なんだよ。違う国同士の人が武器で殺し合うのではなく、スポーツで争い、争った後は握手をしてお互いを理解し合うんだ」と教えられました。
確かに、そういう側面はあるかもしれませんが、色々と調べて紐解いていくと、もう少し奥が深そうです。
まず、オリンピックは皆さんご存知の通り、古代ギリシアのオリンピア地方において、「宗教行事」として生まれました。
つまり、全能の神ゼウスをはじめ多くの神々を崇めるための、神域における「体育や芸術の競技祭」だったのです。
紀元前776年に、第1回大会が開催されたそうです。
古代オリンピックには、回を重ねるに連れ、ギリシア全土から競技者や観客が集まる大イベントに発展していったそうです。
当時は、ギリシアの中のいくつかのポリスが戦争をしていたそうですが、宗教的な意味を持つオリンピアの祭典には戦争を中断してでも参加しなければならなかったそうです。
武器を捨て、ときには敵地を横切りながらオリンピアを目指して旅をするため、戦争の中断期間は3か月ほどになったそうです。
まさに、「聖なる休戦」の時です。
ところが、紀元前146年にギリシアがローマ帝国の支配下に入り、西暦392年にローマがキリスト教を国教とすると、ギリシアの宗教祭典をベースとしたオリンピックを維持する事が困難となり、翌年の第293回オリンピックを最後に途絶えてしまったそうです。
実に、数々の戦乱を乗り越え、1169年もの間、維持されてきた祭典でした。
時は流れ、西暦1896年に、ギリシアのアテネにおいて近代オリンピックの第1回が改めて開催されるに至りました。
そのきっかけを作ったのが、フランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵だそうです。
クーベルタン男爵は、元々イギリス人が大嫌いだったそうです。
ところが、教育に興味を持ち、教育先進国たるイギリスに渡った時、イギリス人学生が積極的かつ紳士的にスポーツに取り組む姿を見て感銘を受け、たちまちイギリス贔屓になってしまったそうです。
そして、スポーツを取り入れた教育改革こそ、「自由な気風」、「国際交流」、「平和」を導くものとして、世界に広げる決意をしたそうです。
「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)は、各国が覇権を争う帝国主義の時代にあって、実に画期的なもだったそうです。
そして、近代オリンピック第1回開催の2年前にあたる1894年に、IOCが創設されるに至るのです。
私は、ここに至って初めて、「オリンピックって、何だろう?」と改めて思い、オリンピックの考え方が記載されている「オリンピック憲章」を読んでみる事にしました。
ご興味ある方は、下の図をクリックすると本文にリンクします。
この憲章の前文に「オリンピズムの根本原則」として7項目あるのですが、これが素晴らしいのです。
ここに、その根本原則を記載しておきます。
1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
2. オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会を奨励することを目指し、スポーツを人類の調和の取れた発展に役立てることにある。
3. オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは最高機関のIOCである。活動は 5 大陸にまたがり、偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき、頂点に達する。そのシンボルは 5 つの結び合う輪である。
4. スポーツをすることは人権の 1つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
5. スポーツ団体はオリンピック・ムーブメントにおいて、スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し、自律の権利と義務を持つ。自律には競技規則を自由に定め管理すること、自身の組織の構成と統治について決定すること、外部からのいかなる影響も受けずに選挙を実施する権利、および良好な統治の原則を確実に適用する責任が含まれる。
6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。
7. オリンピック・ムーブメントの一員となるには、オリンピック憲章の遵守および IOC による承認が必要である。
また、第1章オリンピック・ムーブメントの「6.オリンピック競技大会」中に、次のような記述もあります。
「オリンピック競技大会は、 個人種目または団体種目での選手間の競争であり、 国家間の競争ではない。」
これこそが、近代オリンピックを立ち上げたクーベルタン男爵の思いであり、当時近代オリンピックを立ち上げたIOCメンバーの思いであり、それが脈々と現代まで受け継がれているのです。
さて、話が大きく展開しますが、私は子供の頃に「ソ連(ロシア)人は、悪い人ばかりだ」と思っていました。
「ランボー」シリーズの映画を、沢山見たせいでしょうか(笑)。
でも、実際に中学の卒業式前後(1982年)に輸入博という展示会でソ連(ロシア)人と会ったとき、良い人ばかりでひっくり返りました。
マスコミを始めとした間接的な情報に、大きく影響を受けるのが人間なんだ、と強く感じました。
それ以来、私は自分で見て感じたものを大切にするようになりました。
皆さんも、国際的に治安が良くない国や独裁国家等の情報が先に入っていると、その国の人まで全員悪い人だという先入観を持ってしまったりしませんか?
でも、実際はそれらの国の政治とそこに住む人々との考え方は必ずしも一致しない、寧ろその国に住む人々が可哀想だったりするのです。
そんな、あまり良くない先入観や固定観念が、ひっそりとオリンピックやパラリンピックの影に隠れてオリンピズムの崩壊を企んでいるのではないか、と危惧しています。
最近のニュースをみて、ふとそんな事を考えています。
もう一度、近代オリンピック創設の時の哲学を思い出し、今後何十年も何百年も何千年も、良いオリンピックが続く事を、みんなで思い描きませんか?